へき地体験が原点?志しは地域コミュニティを地域包括ケアシステムで支える構想。/ほうじゅグループ

黒い服の男性

次世代の地域医療をめざし
心身がハツラツとする
コミュニティを創りたい

黒い服の男性が話している
ほうじゅグループ
代表医学博士 
仲井 培雄(Nakai Masuo)

ほうじゅグループの代表を務める仲井さん。医療から出発し、現在は福祉分野を強化しながら地域包括ケアを推進しています。平成30年に共生型福祉施設『G-Hills』を開設、「みんなが集う、みんながつながる」拠点として運営しています。

今回のインタビューでは、地域包括ケアシステムの重要性、コミュニティの面白さに気づいたきっかけ、また地域医療の展望についてお伺いしました。地域包括ケアに携わりたい方、顔の見える地域貢献をしたい方、また地域医療にご関心ある方は是非ご覧ください。(2023年2月インタビュー)
高台から建物がみえる、雪が被っている

これからの地域医療の鍵は
『地域包括ケアシステム』と人財

仲井代表:ほうじゅグループの成り立ちを遡ると、祖父が1927年に眼科医院を開業、父が1962年に外科病院を開業、いずれも石川県小松市に構えていました。1983年に現能美市の緑が丘に辰口芳珠記念病院(現・芳珠記念病院)を開設、現在3つの法人からほうじゅグループを構成しています。

これまで当病院は石川県能美市の急性期医療(緊急性のある診療)を担ってきましたが、今後は急性期に併せて、回復期(状態の回復)・慢性期(再発防止)治療を絡めながら、介護・福祉・子育ても実施していく『地域包括ケアシステム』が求められます。

コラム『地域包括ケアシステム』とは?
重度な要介護状態になっても、住み慣れた地域で生活を続けることができるよう、医療・介護・予防・住まい・生活支援が包括的に確保される考え方。その仕組みを『地域包括ケアシステム』とよぶ。

引用:厚生労働省「地域包括ケアシステム

地域包括ケアシステムが必要な背景に、少子高齢化、地方部では急激な人口減少、そして医療の進歩が挙げられます。その結果慢性期の方が増えている現状の中、今後は質の高い「医療・介護・福祉・子育て」が求められます。時代と地域のニーズに応えるために2018年に共生型福祉施設『G-Hills』を立ち上げ、多様なバックグラウンドを持つ方が集うように、地域包括ケアシステムを構築しています。

芝生と平屋の建物
『G-Hills』各施設を横断的に見通せる建物


当グループには心身の健康をエンパワーメントする各分野のプロが在籍し、かつ多職種協働体制を構築していることが強み。今後は高齢者に代表されるように、たくさんの病を抱える方や個別事情を抱えた方々に対して、複眼的なアプローチが必要となる。そこで当グループの強みが活きてきます。地域包括ケアシステムを支えるのは人の存在だからこそ、人財育成には力を入れています。

実際にはこのような取り組みは簡単ではなく、乗り越えるべき高いハードルもあります。しかし、誰しもが挑戦できることではない。だからこそ自らに与えられたチャンスだと思いながら取り組んでいます。

マスクをした男性が話している
地域包括ケアシステム構築について語る、仲井理事長

コミュニティが疎ましく
医者を避けた青年期

実は、小さい頃は医者になりたくなかったんです。ましてやコミュニティに対して疎ましく感じていました。周りからは”医者の息子”と認知されていたので、病院を継ぐことがさぞ当然のごとく認識されていました。自分自身のアイデンティティが存在しない感覚を覚え、早く僕のことを誰も知らない場所へ行きたかったです。

その頃よく空想をしていたのが原始時代。「もし縄文時代に生きていたら、どのように過ごしただろうか。狩りをして、竪穴式住居に住んで・・・」と、そんな生活に憧れていました。また、小さい頃から探求心が強く、考え始めるとどんどん深堀りするタイプ。自動車や飛行機などのメカニックも大好きでしたので、将来はエンジニアになりたいと思っていました。

マスクをした男性が話している
「医者になりたくなかった」と過去を振り返る


転機は高校生の時で、担任の先生が家庭訪問で家に来たんです。そこで進路の話になりました。病院を継ぐか否かの話になり、理系が好きなのでエンジニアを目指していたけれど、医者でも理系を使うから悪くないとは思いました。けど病院経営を継ぐことには後ろ向きだったところ父からは「医者だけやればいい」と言われ、医者になることを決心しました。

また母からは地域医療を推進する『自治医科大学』について教えてもらい、気になって調べてみると、なんとへき地に行けることが分かったんです。「ここに行けば原始時代みたいな暮らしができるぞ!!」と、ビビッと来ました。幸いに、当時は受験科目が英・数・理のみでしたので、人文科学が苦手な私にぴったりでしたよ。

コラム『自治医科大学』とは?
医療に恵まれないへき地等における医療の確保及び向上と地域住民の福祉の増進を図るため、1972年に全国の都道府県が共同して設立した大学。
引用:自治医科大学「大学紹介

へき地体験から発見した
コミュニティの面白さ

今振り返ると『自治医科大学』を選択したことは正解でした。へき地体験は人生に大きな影響与えています。僕は石川県輪島市の舳倉島と、白山市の白峰と、あわせて1年半へき地で暮らしました。

とくに舳倉島の体験は鮮明に覚えています。車もないため自転車での島ぐらし、飲み屋はないので家で住民と宴会、首都圏で食べると何万円もするような海の幸を破格の価格でいただくなど、むかし憧れた原始時代のような暮らしです。

島
釣りとバードウォッチング場として知られる『舳倉島』


とくに面白かったのがコミュニティ。診療圏・通勤圏・生活圏が重なる暮らしでは、面白いことが起こるんです。例えば、僕が糖尿病の患者さんに「今日から飲酒を減らすように。」と言います。その夜、宴会の場には僕も、糖尿病の患者さんも一堂に会しています。だから、その患者さんは飲酒できない(笑)当然なんですけど、コミュニティがあると噓つけないんです。「コミュニティってこんなに面白いんだ!」と、感じた瞬間でした。

へき地での暮らしが終わり、しばらくして当病院を経営するようになりました。最初はとにかく病院を成り立たせることに邁進していました。そんな日々を過ごす中、2001年に石川県能美市の福祉・介護・医療ワーキンググループに参画したのですが、この経験もすごくよかった。障害者支援とか、レスパイトケアとか、石川県能美市で福祉に精力的に取り組む方々と出会う機会になりました。

もう1つ人生の大きな経験が、日本慢性期医療協会の理事や地域包括ケア病棟協会の会長を務めたこと。全国でいろいろな取り組みをする方々と出会い、交流を通じてたくさん刺激をもらいました。へき地での学び、ワーキンググループでの気づき、そして協会を通じて得れた着想と自信から、地域での共生社会実現をめざしました。それが『G-Hills』としてカタチになったんです。

これまでの経緯を振り返えると、元々僕はコミュニティが疎ましかったけれど、医者になることを決めて地域医療の世界に入り込み、結果的にコミュニティの面白さに気づいた。そして現在の活動に繋がっているんです。

共生型社会の実現へ
共感者と一緒に創りたい

舳倉島ほどにはいかないけど、たとえば情報を出したときに、地域内でわーって広がるようなコミュニティを創っていきたい。顔がみえる中で楽しく繋がれるのは、コンパクトな石川県能美市ならできると思います。

まだまだ人財は足りません。我々のビジョンを達成するには人財が何よりも欠かせない。ビジョンに共感いただける方がいれば、ぜひとも一緒に創っていきたいですね。とくに看護師・介護士は不足気味。たとえば定年で辞めた方などで、昼間だけのスポットでのお手伝いも大歓迎です。また県外からの移住者さんが、すでに当グループで就業しています。

共生型社会の実現、地域包括ケアシステムの構築を一緒に目指す仲間になりませんか。お気軽にお問い合わせください。

黒い服の男性
事業所社会福祉法人 陽翠水
所在地石川県能美市緑が丘11-77
募集求人社会福祉法人陽翠水の求人紹介」を参照ください
備考ほうじゅグループ
〇医療法人社団 和楽仁
〇社会福祉法人 陽翠水
〇信和商事 株式会社

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